『世界秘封倶楽部化計画』を聴いて思ったこと

メロディーが良かったので複数回聴いたのだが、以下のような印象を受けた。
なんとなく『火の鳥 太陽編』の未来サイドを彷彿とさせる。

少女たちが見た世界

歌詞を読んでみてわかったのだが、この世界、「U0001-9134845-120368896」では疫病が蔓延したり、人口が激減したり、何もかもが立ちいかなくなっているらしい。
その現状を憂いた者たちがいた。ご存じ秘封俱楽部である。
彼女たちは世界に対して何をしたのだろうか。疫病を食い止めたのだろうか。人口問題を解決したのだろうか。世の中のシステムを改善したのだろうか。
結論から言うと、彼女たちは「何もしなかった」のである。
むしろ、人々に「諦める」ことを説いた。
責任放棄、破滅主義である。

神になろうとした少女たち

彼女たちはこの世界で神様になろうとした、そう考えている。
神とはなんだろうか。宗教観によって異なるだろうが、大体は「全知全能」「人間を超えたもの」「人々に救いをもたらすもの」というイメージを象徴するものであろう。
彼女たちはそんな存在を目指したのだろう。
そのための手段はとても恐ろしく、かつ美しく合理的なものだった。

少女たちのカルト

「カルト」という言葉がある。元は「崇拝」を意味する言葉であったが、現在では犯罪行為を犯すような反社会的な宗教団体を指す負のイメージを持つ言葉という風な認識になっている(Wikipediaより)。
つまりは「宗教」という隠れ蓑を用いて犯罪行為を犯しているというわけである。
今我々が生きている世界の日本にはかつて国家転覆を計画し、戦後最大のテロリズムを実行したものがあった。
その団体には東京大学など有名な大学出身の人物が所属し、危険な薬品の製造の中心となっていた。
学があれば団体の異常性はすぐわかるはずなのになぜ。
それは彼らが「世界に絶望していた」からである。世界に居場所が見つけられない。生きている意味が分からない。
そんな風に絶望した人間に、カルト団体は優しく語りかけるのである。
「君が必要だ」「ここが君の居場所だ」
秘封俱楽部の2人はこのロジックを理解していた。そうして容易に滅びゆく世界の支配者となったのである。

救世主と賛美

この曲では「メサイア」「ハレルヤ」という言葉が執拗に、かつ爽やかに歌いあげられる。前者は「救世主」、後者は「賛美」という意味であるが、歌詞を見るとこれらの言葉は「秘封俱楽部」という言葉の読みとなっている。
これは間違いなく彼女たちのカルトの一環である。
滅びゆく世界に救世主として現れ、人々に救済をもたらした彼女たちは、自分たちを救世主と呼ばせ賛美させることで神様となってしまったのである。
人々は高らかに歌う。少女達の讃美歌を。崩れ行く世界の真ん中で。

滅びへの逃避

晴れて神となった彼女たちがしていることの本質は「もうどうにもならないから諦めて滅びる」ことである。
冷静に考えてこれは真の救済だろうか。
車に轢かれそうだが避けようとしない。病気になったときどうせ死ぬからと治療をしない。 人間は命を燃やすために全力を尽くす。だから美しい。しかし、どうせダメだと諦めるのは人間性の放棄である。
それをあろうことか彼女たちは他の人々に強いた。
しかし、それを疑問に思うものはもういない。神様の言うことは絶対。救世主の行動に間違いはない。そう人々は思っているからである。そう思わせたのは人々の絶望か、はたまた希望か。 どちらにせよ、自分で生きることを諦め、少女達に縋った人間たちの脳は他力本願の思考に支配されてしまっていた。
もう疲れた。救われたい。助けてほしい。考えたくない。

少女たちの救済

彼女たちは最後まで神であろうとした。
人間は絶対に神になれない。神になったと思ったらそれは確実に思い込みである。人間は神でないから人間なのだ。そして、神の意思で生まれ、神の手を離れ独り立ちして懸命に生きていくのが人間である。
神の力を与えられ光輝に目覚めても、神に逆らい人間として生きた者がいた。始まりの男となっても、仲間を想い続けた者がいた。始まりの女となっても、使命に抗い仲間を救おうとした者がいた。
人間を超えたが、人間を捨てきれずに滅びた者がいた。身勝手な正義で神となろうとしたが、人間の絆に顔を潰され死んでいった者がいた。
彼女たちは人間ではなく、神を選んだ。その座に逃避した。生きることや希望を捨て去り、終末的な快楽主義に走った。それを「救済」と称して。
...それは皮肉にももっとも人間的な行為だった。

"われら"がいま参上

マッチポンプ」という言葉がある。マッチで火をつけて火事を起こす。その場にポンプを持ってきて消化をしほめたたえられるというものである。
簡単に言えば「自作自演」という意味だが、この世界では秘封俱楽部がこれを行った可能性がある。
「世界よ 世界よ これを見よ そんな中に"われら"がいま参上」
「私たちで招き望んだ難病」
このフレーズが根拠であるのだが、つまりは「秘封俱楽部が世界が荒廃した原因である」「秘封俱楽部は自分たちが壊した世界を救済した」というわけだ。
この世界の2人はかなりの力を持ってしまったのだろう。それこそ世界を思うがままにできる力を。
そしてそれを「神の力」と思った。
彼女たちは神になろうとした。そのために世界を壊した。人々に救いを求めさせた。そこに堂々と現れ、「秘封俱楽部(メサイア)」となった。自分で壊した世界なのだから崩壊を食い止めるのは容易い。滅びを食い止めた彼女たちを人々は讃えただろう。滅び行く世界の「救世主」として。
世界の崩壊を緩める美しい少女2人。なんと救世主にふさわしい姿だろう。
彼女たちは一つの世界を巻き込み、破壊し、それを救い、神となり、人類の賞賛を勝ち取った。無垢な者たちを大勢犠牲にして。
この行為は神の所業でもなんでもない。只の邪悪な利己的行為である。
最後まで神にこだわり、彼女たちは自分たちを讃える無機質で光輝いた声に包まれながら仕上げを行う。それは、空から滅びをもたらすことだった。
「さあいまこそソラより降り来たれここへ」
空から落ちてくる何か。世界を亡ぼしたソレは、もちろん秘封俱楽部が呼び寄せたものである。
彼女たちは笑いながら人々を励まし、神として崇められたのだろう。世界を亡ぼすのはその神様なのに。
いや、もしかしたら本気で人々に救済をもたらすべく言説をしていたかもしれない。
彼女たちすらも、自分たちの作ったカミに酔いしれていたのかもしれないのだから。
彼女たちは世界を巻き込み、壮大な自殺をしたと言える。
しかし、彼女たちは裁かれることはない。なぜなら世界が滅び去ってしまったからである。
もう彼女たちを非難する法も、声も何もない。彼女たちは自分たちの快楽を満たし、「カミ様」として死んでいったのである。この世界に生きる者全てを道連れにして。
彼女たちが「夢と現の残骸」と称した世界。その世界は本当に滅びるべきものだったのか。消えてしまった今となっては、誰にもわからない。
今際の時、彼女たちは何を想っただろうか。
自らの過ちか、自分たちが作り上げた偶像か、はたまた次の世界か。